パリで伝説的な存在となっている石井庸子さんです。彼女はファッションブランド「メゾン キツネ」が手がけるカフェの「看板マダム」として、80代になった現在も現役で活躍し、その洗練された生き方が多くの注目を集めています。
この記事では彼女の驚きの年齢や、娘婿がメゾン キツネの創業者であるという事実、そして長年連れ添った夫や娘に関する詳細な情報を徹底的に調査しました。
パリの看板マダム石井庸子のプロフィール
現在「カフェ キツネ ルーブル」の顔として親しまれている石井庸子さんは、日本では「ナミさん」という愛称でも知られています。彼女の情報を整理するために、以下の表にまとめました。
| 項目 | 内容 |
| 名前(愛称) | 石井 庸子(いしい ようこ)、ナミさん |
| 生年月日 | 1942年頃生まれ(2024年現在82歳) |
| 出身地 | 東京生まれ(育ちは不明) |
| 経歴 | 日本でモデル活動し、1973年渡仏後バー「My room」を21年間経営 |
| 現職 | 「カフェ キツネ ルーブル」勤務(看板マダム) |
| 家族 | 夫(孝行さん)、娘(ロミさん)、娘婿(ジルダ・ロアエック氏) |
80代現役!驚きの年齢と旧姓「ナミ」の由来
石井庸子さんは、2024年現在で82歳を迎える(書籍刊行当時)という年齢でありながら、パリのカフェで週4日も働く現役マダムです。日本では「ナミさん」という愛称で親しまれていますが、これは彼女の旧姓が「ナミカタ」さんであったことに由来すると言われています。
モデルとして日本で活動していた彼女は、その美貌とセンスで若くから注目を集めていました。
モデルから渡仏へ!パリ生活50年の軌跡
彼女の人生の転機は、1973年10月の渡仏でした。日本でモデルとして活動していた石井さんは、恩師であるデザイナーの助言もあり、当時決まっていたエリートとの婚約を断ち切り、単身パリへと飛び立ちます。その後、パリの左岸にあるパンテオンの近くで、自身が経営するバー「My room」を21年間にもわたって営み続けました。
このバー経営こそが、彼女のパリでの確固たる地位と、後の夫との出会いに繋がります。
夫・孝行さんとの馴れ初めと結婚生活
石井庸子さんは、パリで現在の夫となる日本人男性、孝行さんと出会い結婚しました。その馴れ初めは、彼女が経営するバーが舞台でした。石井さんの夫である孝行さんは、日本のホテルオークラのレストランや、ローマの日本大使館で料理人として活躍した経歴を持つ方です。
その後、パリのレストランで働くようになり、石井さんのバー「My room」に足しげく通う常連客となりました。二人はバーで会話を重ねるうちに意気投合し、交際に発展。石井さん曰く孝行さんは、「とても生真面目な人」だったそうです。
結婚、そしてコルシカ島での出産
結婚にあまり興味がなかった石井さんですが、「子どもは欲しい」という思いから結婚を決意し、正式に夫婦となりました。結婚後、二人の間には娘が生まれ、出産は地中海に浮かぶ美しい島、コルシカ島で行われました。夫・孝行さんは、石井さんの人生において、パリでの生活を安定させ、家族という基盤を与えてくれた非常に重要な存在であると言えます。
娘と娘婿は?メゾン キツネ創業者との関係
石井庸子さんの家族構成で最も世間を驚かせているのが、娘と娘婿に関する情報です。まさか、あのカフェの看板マダムがファッション界の最重要人物と家族であったとはと、この繋がりは大きな話題となりました。そして、驚くべきことに、彼女の現在のキャリアは娘婿が立ち上げたこのブランドと深く結びついています。
具体的には以下の通りです。
石井庸子さんの娘の名前は?娘婿は?
石井庸子さんの娘の名前はロミさん(Romy)です。そして、娘婿は、ご提示いただいた情報通り、ファッションブランド「メゾン キツネ(Maison Kitsuné)」の共同創業者であるジルダ・ロアエック(Gildas Loaëc)氏です。
ロミさんとジルダさんは結婚しており、石井庸子さんの著書などには、二人のウェディングフォトや家族写真が公開されていることもあります。
この華麗な家族関係は、彼女がパリの上流社会と深い繋がりを持っていることを示しています。
娘婿が創業したカフェで働く現在
石井庸子さんが現在働いている「カフェ キツネ ルーブル」は、この娘婿ジルダ・ロアエック氏が創業したメゾン キツネが運営するカフェです。80代の石井さんが現役で働くモチベーションの一つに、「娘夫婦の事業を支えたい」という思いがあるのかもしれません。
彼女はそこでコーヒーを入れ、お客さんの注文を取り、多くのパリジャン・パリジェンヌや日本人観光客に愛される「看板マダム」として活躍しています。「孫がいるか」については公表されていませんが、これだけ家族の絆が強いことから、家族で頻繁に交流していることが推測されます。
ナミさんの壮絶な渡仏秘話
石井さんらしい自由でフランクな人生観は、彼女の壮絶な渡仏秘話にそのルーツがあります。渡仏を決意した背景には、日本で父が決めた婚約者との結婚をどうしても拒否したかったという事情がありました。その婚約者は家柄も良く裕福なエリートでしたが、石井さんは無理だと両親に懇願するも聞き入れられませんでした。
そこで、彼女は思い切って自身の愛車を売却した資金を手に、両親の反対を押し切ってパリへと飛び立ちました。当時はフランス語も話せない状態でしたが、友達のバーを手伝いながら、独学で言葉を身につけていったそうです。
「手放す幸せ」に見る人生哲学
彼女の人生は、常に「自分の好きなこと、ときめくこと」を選び取り、不要なものを手放す決断の連続でした。「婚約を断る」「愛車を手放して自由を選ぶ」「子どもが欲しくて結婚する」といった大胆な選択の積み重ねが、彼女の独自のライフスタイルを築いています。
彼女の著書『82歳素敵マダムのおしゃれ見本帖 パリ在住50年カフェキツネで働くおばあちゃんのワードローブ』や、関連書籍では、モノや過去に執着しない「手放す幸せ」という彼女の人生哲学が語られています。
まとめ
今回は、パリで活躍する「カフェ キツネ ルーブル」の看板マダム、石井庸子さんについて調査しました。若くして愛車を売ってパリへ渡り、自分の力で居場所を築き上げた彼女の生き方は、多くの人に勇気と憧れを与えています。これからも彼女の活躍と、パリでの豊かな暮らしに注目していきましょう。





